おはようございます。
3.11皆様いかがお過ごしですか。
今日は東日本大震災が起こった日です。
今日は医療と変わり、自分の事を記します。
《3.11 ~岩手→東京へ来た理由と誓い~》
9年前、3/11私は岩手県盛岡市の病院に勤務していました。
14:46の地震発生時、一瞬でライフラインは全て途絶え、揺れている最中、電信柱が斜めになったり、壁にヒビが入る瞬間を目の当たりにし、こんな事はきっと2度と体験出来ないと思い、同県被災地へ。真っ暗な空、海、何も無い土地。自分が地に足をつけこの土地に立って居るのに、夢なのか現実なのか分からなく、言葉が出ず、何故か将来の日本を見た感覚に陥りました。自宅に戻ってもロウソクと薪ストーブだけの空間。唯一、音を、そう思いラジオに電源を入れる。行方不明者の名前が続く放送。そして、そこから呼ばれる知人の名前。。。
ラジオを付けても無力さに、無言になる日々。。
外を歩いても点灯しない信号、人1人の姿も無い道路、休業中の紙が貼られた店達、電気の無い暗い土地に風の音だけが鳴り響いていました。
そんな光景を見て、自分の役割は何か、人口の多い場所で再スタートすべく東京に来る決心を致しました。
東京に来て何度も何度も心が折れそうになり、荷物を抱えて上野駅に行き盛岡行きの切符を買おうとした事、母が東京に来て上野駅で見送った後、新幹線ホームで30分以上涙が止まらなかった事もあります。
しかし、ふと我に返り、この日の情景や想い、岩手を出る時仲間達からもらった言葉、そして東京に来て出逢った方々の笑顔が浮かび、その都度背中を押されました。
疲れて家に帰宅し炊飯ジャーのお米を茶碗によそって目の前の白米を見た途端突然涙が止まらなくなり『隣の家はお米がもうないと話していた中で、9年前の3月にストーブでお鍋にお米入れて、炊いたよな、家族で食べる醤油かけご飯が贅沢に感じたな』とあの時の情景が、今も昨日のように浮かんできます。
あの日から私は、自分に少しでも関わった人になにかあっても、たとえ悲しい事や切ない事があっても
『ごめん、ありがとう』と伝え、その人と最後まで向き合おう、そう思いました。
なぜなら、生きてるから。
自分の人生で会える人はたったひと握りです
今は話すだけでなくメールでもメッセージでも気持ちを表現できます。五体満足であればなおさら、人がどう感じようが、会えた事に大事な気持ちを持っていこう、そうツヨク想いました。
①死者 15,899人
②行方不明 2,529人
③震災関連死 3,739人
④現在の避難生活者数 47,737人
※①②:2020年3/10警視庁発表より
③:2020年2/28復興庁発表より
④:2019年12/27復興庁発表より
多くの犠牲者の方へ
改めて哀悼の意を表します。
この場を通し、日々メッセージをくださる方や笑顔のエネルギーを下さる方々に恩返ししていく事と感謝を胸に
“人の命、寄り添い、そして生きる力”に関わることを学び、東京から岩手へ持って行く事を改めてここに誓います。
今日ある日に、ありがとう。
忘れないために。
※写真は子供のフリースクールを作るボランティアの仲間達や
震災当時の状況、ボランティアの時道路でで寝転がって撮影した空。
当時、定年まで勤めようと思っていた岩手の職場の退職時に仲間達から貰ったエール。